その当時に出会った、二人の演出家は私にかなりの影響を与えた。Y先生はその筆頭だ。
白髪混じりのショートヘア。前髪の右半分(だったかなぁ)だけを紫色に染め、染めていない左側は刈り上げるという個性的なヘアスタイルの女性。小柄で、服装もとてもお洒落だった。出会った当時は60歳代の前半くらいだったように思う。白地にブルーラインのセントジェームスのボーダーTシャツをよく着ていて、そのTシャツを街で見かけると、Y先生を思い出すこともある。
小柄だからか、少し上目遣いに見る癖があるのか、常にあごを引きながら皆の顔を覗き込みながら発する彼女の言葉。
それは、彼女のもとで演劇を学ぶ私たちを一喜一憂させた。
彼女は、思った事をストレートに本人に伝える。
良いものは良い。ダメなものはダメ。彼女の最上級の誉め言葉は「ブラボー!」だった。
演出家というものは、物事に白黒をつける、そういうものであるべきだ思うのだけど、本音と言うものをあまり見せない日本人社会に慣れすぎている私には、彼女が発する本音の言葉は、とっても恐怖で恐かった。
なぜなら、人には言われたくないような事を、ズバリと言ってのけて、しかも、その指摘はあっているけれど、本人すら気付かず生きていたような事だったりするからだ。
例えて言うなら、「あんた、プライド高いわね」とか「あんた自分勝手よね」とか、「あの子プライド高いよね」とか「あの子自分勝手だわ」とか影で言われがちなそういうこと。(この例を誰かに言っていたかは覚えていない。)それを、彼女は本人に伝える。
他の人はどうか知らないけど、私は18年間生きてきて、そんなこと面と向かって言われたことはなかった。
私が直接彼女に言われた言葉で、忘れられないものがある。
大学に入学して3ヶ月くらい経った、夏の日だったと思う。
「あんた、やっと笑うようになったね。今までずっと笑ってなかったよ」
授業中に、皆の前で彼女は私にそう言った。
ものすごく、驚いた。
彼女は、私にはっきりと「あんた、やっと笑うようになった」と、そう言ったのだ。
え?私って今まで笑っていなかったの??じゃぁ、笑っていると思っていた、面白いときにしていたあの行為はなんだったのだろう???
頭の中のクエスチョンマークは数えても数え切れなかった。
「本気で笑わない、仮面のような顔をしていた。表情がなかった」と言ったのだ。
彼女に何かを反論したかどうかも覚えていない。
その場では何を言われているかもわからなくて、泣きも笑いも、わめきも何もしなかったと思う。
その日、私はお酒を飲みながら泣いたような気がする。もう、忘れてしまった。
ただ、ショックだった。
「笑っていない」という事を指摘された事がショックなのではなくて、「自分が本気で笑えていなかった事に自分自身で気付いてすらいなかった」ことがショックだったのだ。
そこから、私は初めてといってもいいくらいに、自分の生い立ちや、なんで笑っていなかったのか、とか理由を掘り下げはじめた。彼女とも何度かそれについて話をした。
今なら、誰かにそういう指摘をされても、「いや、私、楽しい事があったら笑っていますし。どういう意味ですか? それ?」と聞き返せるかも知れない。
でも、その当時の私は、言われた事をそのまま受け止めて、なんでだろう? なんだろう? なんのことなんだろう? と抱え込んで深く悩み続けた。
全ては、後々だからわかることだけれど、父親の影響が大きかったのではないかと思う。彼女ともそんな話をした。
私の父親は、元警察官で常に怒り顔の恐い人だった。亭主関白タイプで、曲がった事が大嫌い。そして、自分の言っている事が全て正しい、と思っている。そういう人だった。
彼が「今は赤だ」と言えば、青色の信号も赤色だから、止まらないと怒られる。
ずっとそうだった。小さい頃からずっと。
でも私は「それは間違っている。今は赤やで」と反論していた。反論すると何が起こるかというと、左頬を叩かれるのだ。
そして、それでも懲りない私は、「だって赤やもん!」と続け、右頬も叩かれる。
「お姉ちゃん、アホやなぁ。お父さんが赤やって言ったら、赤やなぁ、って言ってあわせといたらいいねん」と弟は私に言っていた。
それだけではないだろうけど、そういった事も原因で、私は自分の本心をあまり人に見せないようになっていったのかも知れない。
友達の家によく泊まるようになって、家族揃って食卓を囲むことが減ったある日。久々に家族全員で食卓を囲んだ。
父親が、私の目の前にある醤油か何かを取ろうと手を伸ばしたときに、私は、叩かれる! と思い、私の体が咄嗟によけるような動きをした事があった。Y先生に「笑っていなかった」と言われて、自分掘り下げをしていたさなかに。
あっているかどうかはわからない。けれど、もしかしたら、こういったことも原因の一つで自分の感情を隠しながら生活をするようになったのかもしれない。そして、そのことにすら、気付いていなかったのかも知れない。
そう思った私は、父親の側から離れよう。そう思って、タイミングもあり、友達との4人暮らしに踏み切った。
「笑っていなかった」かもしれない、ということは、彼女にそう言われなければ気付いていなかったかも知れない。
もしかしたら、知らなくてもよかったことなのかもしれない。でも、言われてしまったということは、そう思う人がいるような表情で毎日を過ごしていた。ということだ。
よかったのか悪かったのかはわからない。けれど、彼女に言われた事は私の人生の中で重要だったと思うし、自分を考える機会にもなった。そこから、私は自分自身のことを知ろう、と思い始めた。