2011年6月13日月曜日

人生における「ターニングポイント」の話

 「カ行」の質問を投げかけてきた友達に「トイレに行っている間に考えておいてね」と言われた事柄が、実はもう1個あった。
 それは「今までの人生においてターニングポイントは何回あった?」というものだった。
 その言葉を受けた私の回答は「34年間で10回くらいかなぁ」という曖昧なものだったのだが、間違いなくあれはターニングポイントだった、と思える時期に「大学時代」がある。
 私は大学で演劇・芸能専攻という、4年間で演劇について学ぶ大学に通っていた。
 あそこに通っていなかったら、今の私はいないだろうと確信するくらい、あの時期に受けた影響はとても大きい。
 それは、性格や考え方、人との付き合い方、更には人生そのものを変えたのではないだろうか。それがよかったのか悪かったかの判断は自分では出来ていないが、とにかく影響力大!だったのだ。
 影響の一つに、「大学時代の友達」という項目がある。
 私は、子供の頃、人と仲良くなることが得意な方ではなかった。
 初対面の人と話すことは苦手だし、自分から声をかけるなんてもってのほか。仲良くなるのにも、かなり長い時間を要し、仲良くなったとしても「この人、本当は私のこと好きじゃないのに、無理して一緒にいるんちゃうかな」と常に疑っていた。
 小学生の頃の通知簿に「何事にも消極的です」と書かれることも、一度や二度じゃない。
 おそらく、今現在の私だけを知っている人がこの話を聞いたら、すごく驚くのではないだろうか、と思うくらい、年を重ねた私は、初対面でもにこやかに人と接することが出来るようになった(はず)。
 とはいえ、初対面のときに心の中の緊張度数が100%超えなのは変わらないし、人見知りだからこそ、にこやかに話す術を身に付けたということもある。
 でも、その印象を変えたのには、大学時代に出会った友達の影響がある。
 演劇・芸能専攻は、1学年が約50人の1クラスで、卒業するまでの4年間、メンバーは変わらない、という構成だった。だから、学科内全員と知り合いだった。同学年だけでなく、学年を超えてまで、知り合いだった。
 大学の学科という場所で、そのような構成は珍しいと思うのだが、その特殊な関係性の中、私は、同じ学科の友達と一軒家で共同生活をしていた。
 私を含めて4人暮らしだった。一緒に暮らした4人は最初から、特別仲が良かったわけでも、悪かったわけでも、同じグループに属していたわけでもなかった。
 演劇をやるとなると、学生といえども、夜遅くまで稽古をしたり、一晩かけて芝居の公演の準備をしたり、ということがあり、神戸から大阪の大学に往復約3時間半かけて電車通学をしていた私は、家に帰る事が面倒で、仲良くなった友達宅に泊まらせてもらうことが多くなった。
 「泊まりに来てもいいよ」と言う優しい言葉をかけてもらえたとはいえ、少しは気も使うし、あまりに泊まりすぎるのは申し訳ない、とも考える。でも、毎日家に帰るのは遠くてしんどい、と思っていた。
 同じような考えや状況の子が何人かいて、その中でも同郷の神戸から通っていたYとは「今日、家帰る?」「私、○○ちゃんとこ泊まる」「えー。Yが帰らんのやったら、私も神戸まで帰るの面倒くさい」「どっか泊まらせてもらえば?」という、なんとも泊まられる人のことを考えていない会話が、度々交わされていた。
 そんなYと、実家から通えるけどちょっとしんどいなぁ、という同じ状況で、他の2人、MとAが集まって、一緒に暮らし始めたのだ。
 おそらく、大学生活も2年目くらいになった頃だったと記憶している。
 4人はもともと大の仲良しではなかった。だから、自然に、4人それぞれの仲の良い友達が共同生活をしていた家に遊びに来る、ということ起こり、特別仲が良いわけではない、同学科の顔見知りが、自分の家に泊まりに来る、という不思議な現象が起こった。
 学校生活を共にするだけではここまで話さないだろうな、という子とも、一つ屋根の下で、一緒にご飯を食べて、同じ部屋で眠る、ということが起こった。
 この生活によって、良くも悪くも、私の人との距離感の取り方や付き合い方は変わっていった。だって、家に帰ったら、友達の彼氏がパンツ一丁で転がっていたりするのだ。それはそれは驚くべき事実だけれど、あまり物事に動じなくなったんじゃないだろうか。
 友達にして、姉妹のような、何があっても許せる家族のような関係、というのもはじめて経験した。一緒に過ごす時間が長い分、いろんなことを話したし、喧嘩もしたし、泣いたり、笑ったり、怒ったりという感覚を共有もした。
 なかなか、人と本心で話すことができなかった私が、本心を出せるようにもなった。逆に、あまりに距離が近すぎて、本心を出さなくなったりしたこともある。けれど、きっとそれも、その時に学ぶべきことだったのだろう。
 とても有意義で濃い時間だったことは間違いない。
 その証拠に卒業して10年以上経つけれど、大学時代の友達との縁は切れることなく繋がっている。
 そして、関係性も当時と変わらず、頻繁に連絡をとっていない友達でも、タイミングが合ってみんなで会うと、その場に誰がいても、違和感なく時間を共にすることができる。
 先日、友達2人から、偶然にも同じタイミングで連絡が来た。
 1人は、同居していた友人M。はじめて出会ったときは、抜きすぎた(と彼女が言っていた)茶髪が、彼女のはっきりとした目鼻立ちをハーフのように見せていた。でも、純日本人で、少し広末涼子に似ている。でも少しだけ……という理由で、飲み仲間からは「なんちゃって広末」と呼ばれたり、最終的には広末が省略されて「なんちゃって」と呼ばれたりしていた。今現在の彼女は、当時から好きだったミュージカル劇団の照明チーフとして、日本全国のツアーに出る活躍をみせている。そんな彼女は、家は東京に借りているのに、1年の3分の2以上東京を離れているため、滅多に会うことは出来ない。
 もう1人は、大学を卒業してから1年半くらいの期間、二人暮らしをした友達K。初対面の時から、誰にでも屈託のない笑顔で接していた彼女は、ほとんど話をしたことなかった私にも「家に泊まりにおいでぇやぁ」と広島弁を操りながら、スコーンとかなりのスピードで、距離感を縮めてきたのが印象的だった。人との距離感を縮めるのに、非常に時間を要していた当時の私は、実は面食らったりしていたのだが、彼女のおかげで、こういうコミュニケーションの取り方もある、ということを知ることができた。今は広島で実家の稼業を継ぎ、社長としてバリバリ働いている。
 MとKと私の関係性はというと、Kが4人暮らしのメンバーのYと仲が良く、Yの友達として4人暮らしの家に遊びに来ていて、そこには、もちろんMと私もいる、という状況。卒業後にMとKが2人で会ったり、連絡をとる関係かというと、そうではないけど、会ったらきっと何も気構えずに話すことが出来るだろう、と予測がつく、普通に考えたらあまりない関係性だ。
 その、MとKから、偶然同じタイミングで「東京にいるから&東京に行くから会おう!」と連絡が来た。これはすごいタイミングだ、と興奮して3人で会うことを提案した。
 結果は予想通り、2人とも喜んでOKの返事をくれ、なんの違和感もなく3人で時間を共有して、会っていない期間なんて関係ないくらいに、一気に10年前の感覚に戻った。
 私の家に泊まりに来た2人と、夜中じゅう、眠い目をこすりながら、話をし続け、こんな関係って本当に幸せなことやなぁ、部屋の床で雑魚寝している2人の寝顔を見ながら1人でにやついていた。
 もし、演劇・芸能専攻を選択していなくて、彼女達と会っていなかったら、この関係はないし、この感覚もないのだ。
 もしかしたら、私は未だに、人との距離感の取り方がわからずに過ごしていたかも知れないのだ。
 そう考えると、大学時代の友達との出会いは、私にとってのターニングポイントであることは間違いない。
 そんなことを考えながら、2人が帰った後、当時4人暮らしを一緒にしていたYとAに久々にメールをした。

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